Force of Evil
M-G-M 配給
1948年
ダイレクター:
ビデオを借りてみていたら、マーチン・スコセッシがオープニングで喋っててね、君の作品、特に『悪の力』に触発されて、自分のギャング映画を書いたそうだ。すごくないか、アメリカ随一の映画監督からそんな風に褒められるなんて。どう?
ポロンスキー:
そいつのこと知らなかったから、多分褒めてくれたんだろう。
ダイレクター:
じゃあ、賄賂は送ってないんだね?
ポロンスキー:
あとで送った。
Synopsis
ウォール街の弁護士ジョー・モースはギャングのボス、ベン・タッカー専属として、涼しい顔で裏社会の取引を取り計らっていた。タッカーが、ニューヨークの違法「ナンバーくじ」の商売を独り占めしたいと考え始め、弱小の胴元を配下に束ねる作戦に出る。ジョーの兄リオはそんな弱小胴元の一人だが、ギャングとの取引を嫌っていた。ジョーがレオを説得しようとするが、ひとつひとつ歯車が狂い始めた。
Quotes
I die almost every day myself. That’s the way I live. It’s a silly habit. You know, sometimes you feel as though you’re dying here… and here. Here…
俺自身、毎日死んでるようなもんだ。そういう生き方なんだ。馬鹿げた習慣だな。わかるか、時々感じるんだよ、ここが死んでいるように感じて、ここも・・・ここも・・・
― リオ・モース(トーマス・ゴメス)
Production
自らの製作会社、エンタープライズ・スタジオ製作の『ボディ・アンド・ソウル(Body and Soul, 1947)』のヒットで自信を得たジョン・ガーフィールド(1913-1952)は、原案・脚本を担当したエイブラハム・ポロンスキーと再び組んで、アイラ・フォルファートの小説「タッカー一味(Tucker’s People)」を映画化することを企画する。ポロンスキーにとっては初めての監督作品となるが、ガーフィールドは全幅の信頼をおいていたようである。
エイブラハム・リンカーン・ポロンスキー(1910-1999)はニューヨークで薬局を営むロシア系ユダヤ人の家庭に生まれた。「父親がキチガイで、自分はヘンリーとかいい名前なのに、俺にはこんな名前をつけやがった」というポロンスキーは、禁酒法時代のニューヨーク、ローワー・イースト・サイドの荒くれた世界のなかで育った。ニューヨーク市立大学シティ・カレッジで英文学を専攻した後、コロンビア大学のロースクールに進学。シティ・カレッジで英文学を教えたり、法律事務所に勤めたりしていたが、ガートルード・バーグの人気ラジオ番組「ゴールドバーグ一家」の裁判のエピソードで法律コンサルタントとして雇われ、それがきっかけで脚本の道へ進んだ。戦時中はパラマウント契約で戦略情報局に所属した。イギリスに派遣され、ルドルフ・ヘスを尋問したり(コンピューターの未来について話したという)、ドイツの将校の尋問を担当した後、ノルマンディー上陸作戦とともにフランスに渡り、パリでプロパガンダ活動に従事した。なかでも面白いのが、ドイツ兵やドイツ国民向けのフェイクラジオ放送で、ドイツのラジオ局が放送終了した後、同じ周波数でルートヴィッヒ・ベック大将がヒトラー追放を呼びかけるというものである。ベック大将は、ヒトラー暗殺計画が発覚後殺害されていたのだが、実は生き伸びて隠れ家から呼びかけている、というフェイク放送の台本をポロンスキーが書いた。戦後、パラマウントで『黄金の耳飾り(Golden Earrings, 1947)』の脚本の仕事をしたあと、エンタープライズ・スタジオでジョン・ガーフィルド専属の脚本家、監督となる。
(マレーネ・ディートリッヒに脚本のお礼として頬にキスをされたポロンスキー)
「ディートリッヒさん、マレーネ・ディートリッヒからのキスが頬だなんて、侮辱ですよ」
「じゃあ、何が欲しいの?」
「『マレーネ・ディートリッヒのキス』ってやつが欲しい」
次の瞬間、俺は床に横たわってて、マレーネ・ディートリッヒが上に乗っかってて、『マレーネ・ディートリッヒのキス』ってのが襲いかかってきた。回復するのに2年かかったね。
エイブラハム・ポロンスキー
ジョン・ガーフィールドも、ポロンスキーと同じくニューヨーク、ローワー・イーストサイド出身のロシア系ユダヤ人。ただし、家が貧しく、子供の頃から親戚をたらい回しにされた。この頃に「ストリートの醜悪さ、タフさ」を学んだという。脚本家のクリフォード・オデッツは幼馴染。学校の演劇レッスンで才能を見出され、アメリカン・ラボラトリー・シアター、ザ・グループといったニューヨークの演劇集団で頭角を表す。1938年にワーナーから映画デビューしたが、配役について頻繁にスタジオと揉め、1947年に自らの製作会社を設立する。
原作のアイラ・ウォルファート(1908-1997)はニューヨーク出身のジャーナリスト、作家。第二次大戦中のガダルカナルの戦いのレポートでピューリツァー賞受賞。「タッカー一味」では、新聞記者時代に取材したニューヨークの違法ナンバーくじの世界を描いている。
映画化にあたって、これが初めての監督作となるポロンスキーと原作者のウォルファートは相当話し合ったようだ。ハリウッドの脚本家たちが使うダイアローグの言葉ではなく、人が話す言葉としての「言葉」を探す実験だった。映像、俳優、セリフ、これを3つの独立した要素だと考えたポロンスキーは、「映像の連続と、俳優のなかに立ち現れる人格の姿と、言葉のリズムを、時にはユニゾンで、時には対位法的に」使った。
撮影監督のジョージ・S・バーンズ(1892-1953)は、ゴールドウィンのもとで撮り続けたカメラマンで、グレッグ・トーランドの師匠にあたるベテラン。ポロンスキーが「ハリウッド史上屈指の」名カメラマンと呼んだ撮影監督である。数日の撮影の後、ラッシュを見たポロンスキーは、バーンズの撮影がゴールドウィンやバズビー・バークレーの下で撮っていた「ロマンチックで、ふわっとした」映像になっていることに気がついた。自分の欲しい映像が上手く説明できなかったポロンスキーは、エドワード・ホッパーの画集を持ち出してきて、「こういうのをお願いしたい」と言った。すると、バーンズは「これか!」と言うと、それで明確にイメージが伝わり、その後一度もポロンスキーの求めているスタイルからブレることはなかったという。
ニューヨークの各所を使ったロケーション撮影で、バーンズは「Zoomar Lens」というズーム・レンズを使用していると報告されている。Zoomer Lensは、第二次大戦中に米国海軍で光学装置の研究をしていたフランク・バックによって開発されたズーム・レンズで、戦後民間用、特にTV番組撮影用にマーケティングされていた。『悪の力』はそのZoomar Lensを使用した劇場用映画としてはほぼ最初らしい。
製作費は115万ドル。当時としては、むしろ低予算の部類に入る。しかし、1948年の後半になって、エンタープライズ・スタジオの雲行きが怪しくなってしまった。エンタープライズ・スタジオ製作、イングリッド・バーグマンとシャルル・ボワイエ共演の『凱旋門(Arch of Triumph, 1948)』が500万ドルという巨額な製作費にも関わらず、見事に興行的に失敗してしまったため、急激に経営が悪化、製作に入っていた『悪の力』と『魅せられて(Caught, 1949)』を除いて、すべてのプロジェクトを停止せざるを得なくなってしまった。『悪の力』と『魅せられて』も配給をMGMに泣きつき(エンタープライズ・スタジオの創始者の一人はデヴィッド・ロウ、MGMの創始者、マーカス・ロウの息子)、足元を見たMGMが『悪の力』を大幅にカットしたと言われる。
Reception
公開当時の評は微温的からやや期待はずれという感じである。
ストーリーの進行は暴力と殺人を差し挟みながら、ポロンスキーの演出が物語の進行に緊張感を与えている
Motion Picture Daily
『悪の力』は熱気が感じられるところもあるのだが、結局はバラバラで大言壮語の犯罪メロドラマ、大部分は冷え切っている
Herald Tribune
『悪の力』はタイトルから想像されるエキサイティングな物語を編み出すことができていない
Variety
実に嫌な種類の話であるが、それでもこの映画はダイナミックな「罪と罰」のドラマであり、それ見事にかつ大胆に描いている。
New York Times
興行的には失敗、製作費を回収できなかったという。1948年にエンタープライズ・スタジオが実質的に倒産した際に、バンク・オブ・アメリカが映画の版権を接収、全部まとめてTV番組配給会社に235万ドルで売り払った。ポロンスキーのブラックリスト入りとともに、アメリカ国内ではほとんど忘れ去られていたこの作品を最初に映画史のコンテクストに戻したのは、ウィリアム・ペクターである。
『悪の力』では、その言葉は呪文のような質感を呈し、ほとんど合唱のような共鳴を、この作品の中心にあるアベルとカインの神話に与えている。
ウィリアム・ペクター
ポロンスキーが映画界に復帰した『夕陽に向かって走れ(Tell Them Willie Boy Is Here, 1969)』の公開後、彼の作品の再評価が始まり、その過程で、『悪の力』が、フィルム・ノワールにとどまらず、ハリウッド映画史上における画期的な作品として位置づけられるようになってきた。TV配給に払い下げられたこの映画はTVで頻繁に放映され、次の世代の映画作家に大きな影響を与えることになる。13歳の頃にTVでこの作品を見て衝撃を受けたとマーチン・スコセッシは言う。『ボディ・アンド・ソウル』と『悪の力』が彼の作品のインスピレーションだと絶賛し、『悪の力』のVHSが発売されたときには、本編前に3分ほどのイントロダクションを彼が担当している。
『悪の力』は、よくあるフィルム・ノワールの1本ではない。ここでは、腐敗しているのは個人ではない。システム全体なのだ。
マーチン・スコセッシ
Analysis
メタファーかリアリズムか
『悪の力』、そしてその原作『タッカー一味』は、資本主義のメタファーとして解釈されることが実に多い。扱われているのはマフィアの違法くじの世界だが、金がそのまま力となり、そしてその力が人を支配している、それが資本主義、特に現代のアメリカの資本主義のパラレルだという解釈だ。タッカーとその弁護士ジョー・モースは、より大きな勢力を手に入れ、より大きな利益を上げるために、より多くの人間を金で服従させようと企む。その世界の末端であるリオ・モースも、結局は違法くじの胴元であることには変わりはない。しかし、リオには自分が犯罪に手を染めているという意識がなく、自分はタッカーの一味とは違うのだと思い込んでいる。資本主義の仕組みのなかで、自分は資本家のように金で人を支配したりはしないと考えている庶民も、実は資本家と同じゲームで稼ごうとしていることには変わらない、というパラドックスをマフィアの世界に移植した、という解釈だ。
この解釈は恐らく、エイブラハム・ポロンスキーがブラックリストにも載った、筋金入りのマルキシストだということから出発しているのではないか。しかし、ポロンスキー自身は「(原作が)ファシズムと平行関係にあるのはあきらかだ。マフィアの社会が資本主義みたいとか、その逆とか、それが本当かどうかは知らないがね」と述べている。実際、これを単なるメタファーとしてのみ解釈するのは、この作品の重層的な性格を見逃すことになる。確かにリオも同じゲームで稼いでいるし、そのパラドックスをジョーは厳しく指弾する。だが、この作品がさらにえぐり出すのは、お互い同じパラドックスを見ているにも関わらず、兄と弟が共有できる言葉を最後まで見つけられずに破滅していく様子である。そしてその描き方が実に秀逸だ。
映像と演技と言葉の対位法
ポロンスキーは、この作品を演出する際、映像ー演技ー言葉の3つの要素を「対位法」の要領で編み上げていくことを目論んでいた。「(そのシーンの)設計、感情、目的によってスピード、強度、調和、衝突を変化させて、時にはこの3つの要素を分離して、時には2つの、或いは3つの要素を一緒に使って」表現したと述べている。特にそのなかでも、「言葉」が果たす役割が極めて重要になることをポロンスキーとウォルファートは認識していた。2人は「標準ハリウッド映画の会話」の因習ー「気の利いた冗談」「ウィットに富んだやり取り」ーから離れて、話し言葉のリアリティを重んじたという。
なかでも最も有名なのは、タクシーのなかで、ジョー(ジョン・ガーフィールド)がドリス(ベアトリス・ピアソン)に語る「想像上のルビー」のシーンである。会話はジョーが半ば冗談で、半ば本気でドリスを口説くところから始まり、「100万ドルのルビーを君にあげよう、でも見返りに何も欲しがらないのは、邪悪じゃないか」と問う。ドリスは「何かを与えて見返りを欲しがらないのは邪悪じゃない」というのだが、当初は陽気だったジョーの表情が翳り始め、最後に兄への呪詛と変貌していく。
It’s perversion. Don’t you see what it is? It’s not natural. To go great expense for something you want, that’s natural. To reach out to take it – that’s human, that’s natural. But to get your pleasure from not taking, by cheating yourself deliberately, like my brother did today, from not getting, from not taking, don’t you see what a black thing that is for a man to do? How is it to hate yourself, your brother, to make him feel that he’s guilty, … and I’m guilty. Just to live, and be guilty.
歪んでいるよ。それが何かわかるかい?自然じゃないんだ。欲しいものを手に入れるためにすごく苦労すること、それは自然だ。手を伸ばして取ること、それが人間だ。それが自然だ。なのに、手に入れないで、わざと自分を騙して、今日の兄貴のように、取らないことで、貰わないことで、喜びを感じるなんて、人間がやることとしちゃ、ずいぶん病んだことじゃないか?自分自身を嫌って、弟を嫌って、罪悪感を持って、・・・そして俺にもね。生きているだけで、罪を犯しているって・・・
減速していく語り、焦点を失った視線、眉間に少しずつ寄っていく皺、ガーフィールドの演技が映し出すジョーの想いが沈み込んでいくさまは、このセリフのスタッカートによってより陰鬱なものになっている。あるいは、ジョーがリオに違法ギャンブルの胴元であることを認識させるシーンでは、その言葉のリズムがまるでナイフのようにリオに刺さっていく。
(Joe) – Are you telling me, a corporation lawyer, that you’re running a legitimate business here? What do you call this? Payoffs for gambling. An illegal lottery. Policy. Violation 974 of the penal code. Policy-The numbers racket.
(Leo) – I do my business honest and respectable!
(Joe) – Honest? Respectable? Don’t you take the nickels and dimes and pennies from people who bet, just like every other crook, big or little, in this racket? They call this racket “policy”, because people bet their nickels on numbers instead of paying their weekly insurance premium. That’s why-Policy. That’s what it is, and that’s what it’s called. And Tucker wants to make millions, You want to make thousands, And you, you do it for $35 a week. But it’s all the same, all policy!
ジョー:兄さんは、この俺に、企業弁護士の俺に、ここではまともなビジネスをやってます、って言いたいわけかい?一体これは何だ?ギャンブルの支払いじゃないか。違法のくじじゃないか。保険証書。刑法の974号違反。保険証書、ナンバーくじじゃないか。
リオ:俺は正直に、きちんとビジネスをやっているだけだ!
ジョー:正直?きちんと?この違法のくじに金を賭ける連中から5セント、1セント、10セント巻き上げてるんじゃないか。大小関係なく他の悪い連中と変わんないじゃないか。この違法くじをどうして「保険証書」って呼ぶか知っているか?みんな毎週の保険料を払う代わりに、ナンバーくじに5セント、10セント賭けるんじゃないか。だから「保険証書」って呼ぶんだよ。そういうことじゃないか、だからそう呼ばれているんじゃないか。タッカーは何百万ドルも、兄さんは数千ドル、そして、ドリス、君は週35ドル、でもみんな同じじゃないか。同じ「保険証書」だろ?
ジョーの加速していく糾弾のセリフでは、”payoff”、”policy”、”penal”の”p”の破裂音が繰り返し強調され、その度にまるでピストルで兄のリオを撃っているような感覚に襲われる。途中でいったんリオが反撃するのだが、ジョーはリオの言葉をいったん静かにうけて(”Honest? Respectable?”)今まで以上に破壊的な”p”の破裂音がスタッカートに乗ってリオを襲う。この後のリオの返答も見事だ。
I’ll give you my answer calmly and sensibly. My final answer. My final answer is finally no. The answer is no- Absolutely and finally no, finally and positively no! No! No! No! N- O!
じゃあ、俺の返事を穏やかに落ち着いて言ってやる。俺の最終的な返事だ。俺の最終的な返事は、最終的にNoだ。返事はNoだ。絶対的に、最終的にNoだ。最終的に、明確にNoだ。No!No!No!N!O!
破裂音の”p”に対して、押し戻すように響く”o”の音。ここでもそうだが、この作品ではセリフのなかで言葉の繰り返しが多用され、それがリズムを作る。そのリズムが他の人物のセリフのなかで言葉の繰り返しを呼び込み、また別のリズムを作り出す。しかし、それは他に類を見ない極めてユニークなものだった。例えば、短めのセリフを少しずつ意味をずらしながら畳み込んでいくベン・ヘクトのようなリズムでもなく、言葉の表と裏を使い分けながらポロポロと本性を暴いていくビリー・ワイルダーのようなリズムでもない。もっと音楽的で、翳りがあり、残酷で甘美な言葉のリズムである。
下へ下へ沈んでいく映像
ウォール街の成功した弁護士として登場するジョーだが、物語が進むにつれ、タッカーの野望に乗っかっていたつもりが、気づかないうちに破滅へ進んでいく様子が描かれる。その破滅は、ジョーが下へ降りていく映像として幾度も立ち現れる。机の引出しにしまいこんでいる電話を取るために沈み込む。タッカーとともに階段を降りていく。頻繁にカメラはジョーを見下ろす角度でとらえ、その威勢とは裏腹のタッカーに利用されるだけの弱い立場が強調される。そして、最後のシーンで、ジョーは、橋の下のリオを探しに行くために下へ下へと降りていく。このシーンについて、エイゼンシュタインへのオマージュか、と聞かれ、ポロンスキーは「ポロンスキーへのオマージュさ」と答え、自分がニューヨークのストリート、橋、階段を知りつくしていること、それを題材にするのは当然だったことを述べている。
It was like going down to the bottom of the world, to find my brother.
まるで世界の底に降りていくようだった。兄を探しに。
デヴィッド・ラクシンの音楽は、常々この作品の最も決定的な弱点と指摘されてきた。3つの要素のなかでもあまり機能していないか、場合によっては場違いな結果となっている、と言われている。ポロンスキーも「あの音楽は間違いだとは分かっていたが、(まだ経験が浅かったので)作曲家に意見することができなかった」と述べている。しかし、今『悪の力』を見直してみると、あのラクシンの音楽が、そのかけちがったような浮遊感ゆえに、作品の暴力性と腐食性を客体化して別のクリシェに陥らないようにしているようにも感じられる。リオの誘拐のシーンの残忍さと愚かさは、ラクシンの偽ロマン派風の対位法によって、不可思議な神話性を帯びているようにも思えるのだ。しかし、それも今までに多くの映像と音楽の試みがなされてきて、『悪の力』が製作された当初のコンテクストとは全く違う位置で見ているからにすぎないだろう。
この作品で最も重要な鍵を握る人物、ジョーやタッカーの電話を盗聴している捜査官は一度も現れず、一つのセリフもない。しかし、この捜査官が存在することが明らかになる時点から、ジョーが電話の向こうにカチッと言う音を聞くときから、物語の枠組みになっていた権力が急激にバランスを失っていくのが分かる。この奇妙な音が人間の顔を持たないのは、ひょっとするとポロンスキーとウォルファートの実体験からくるのだろうか。この作品の脚本を共同執筆していたとき、ポロンスキーとウォルファートは電話でよく相談していたという。その電話はFBIによって盗聴されていた。ポロンスキーは奇妙な音を聞いたのだろうか。
Links
Senses of Cinemaのサイトでは、エイブラハム・ポロンスキーの詳細なバイオグラフィーを読むことができる。
ポロンスキーの再評価のきっかけとなったウィリアム・ペクターの批評、「Abraham Polonsky and “Force of Evil”」はJSTOREで閲覧可能。
World Socialist Web Siteはポロンスキーのインタビューを掲載。エリア・カザンに対する辛辣な意見の奥にある芸術についての洞察が興味深い。
Data
MGM配給 12/25/1948公開
B&W 1.37:1
78分
製作 | ボブ・ロバーツ Bob Roberts | 出演 | ジョン・ガーフィールド John Garfield |
監督 | エイブラハム・ポロンスキー Abraham Polonsky | トーマス・ゴメス Thomas Gomez |
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助監督 | ロバート・アルドリッチ Robert Aldrich | マリー・ウィンザー Marie Windsor |
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原作・脚本 | アイラ・ウォルファート Ira Wolfart | ベアトリス・ピアソン Beatrice Pearson |
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脚本 | エイブラハム・ポロンスキー Abraham Polonsky | ロイ・ロバーツ Roy Roberts |
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撮影 | ジョージ・バーンズ George Barnes | ハワード・チェンバレン Howland Chamberlin |
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編集監修 | ウォルター・トンプソン Walter Thompson | スタンリー・プレイジャー Stanley Prager |
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音楽 | デヴィッド・ラクシン David Raksin | ||
美術 | リチャード・デイ Richard Day |
References
[1]A. Dickos, Ed., Abraham Polonsky: Interviews. Jackson: University Press of Mississippi, 2012.
[2]A. Spicer and H. Hanson, A Companion to Film Noir. John Wiley & Sons, 2013.
[3]P. Buhle and D. Wagner, A Very Dangerous Citizen: Abraham Lincoln Polonsky and the Hollywood Left. Berkeley: University of California Press, 2002.
[4]J. Shadoian, Dreams and Dead Ends: The American Gangster Film. Oxford University Press, 2003.
[5]P. J. McGrath, John Garfield: The Illustrated Career in Films and on Stage. McFarland, 1993.
[6]S. Dyrector and E. Asner, Shedding Light on the Hollywood Blacklist: Conversations with Participants. Place of publication not identified: BearManor Media, 2013.
[7]P. McGilligan, P. Buhle, A. Morley, and W. B. Winburn, Tender Comrades: A Backstory of the Hollywood Blacklist. New York: St Martins Pr, 1997.
Top Image: from “modern screen”, April, 1949