Crime Wave

ワーナー・ブラザーズ
1954年公開

「B級映画」とか、随分差別的な呼び方じゃないか
アンドレ・ド・トス

Synopsis

3人の脱獄囚(ドク・ペニー、ヘイスティングス、モーガン)が、夜のガソリンスタンドを襲う。偶然現場に現れた警官を射殺。夜の街には非常線が引かれ、強盗犯たちは、かつての仲間で保釈中のレイシーのアパートに逃げ込む。レイシーは結婚して犯罪の世界から足を洗い、出直しを図っていたところだった。嗅ぎつけたシムス刑事がレイシーに強盗犯たちを売るように迫るが、ドク・ペニーに脅迫されているレイシーは身動きが取れない。ドク・ペニーは、さらに銀行強盗を計画し、レイシーに協力を持ちかける。協力しなければ、妻エレンの命はどうなるか分からない・・・

Quotes

You know, it isn’t what a man wants to do, Lacey, but what he has to do. Now take me – I love to smoke cigarettes, but the doctors say I can’t have them. So what do I do? I chew toothpicks, tons of them.

いいか、レイシー、何をしたいかじゃなく、何をしなきゃいけないか、だぜ。俺を見てみろ。俺はタバコが好きなんだが、医者に止められてる。だから、どうすると思う?爪楊枝を囓ってんのさ。山のように、爪楊枝ばっかりをな。
シムス刑事(スターリング・ヘイデン)

Production

1930年代から「B級映画の王様」と呼ばれたブライアン・フォイ(1896-1977)が、独立プロデューサー業から足を洗ってワーナー・ブラザーズに戻ってきたのは1950年のことである。フォイは少年時代からボードヴィルに出演していた根っからのショーマンで、低予算でヒット作を作ることに長けていた。特に犯罪ものに関しては「ハリウッドで一番安く早く仕上げる」と自ら豪語していたくらいである[1]。ワーナー・ブラザーズに籍をおいてから間もなく、3D映画の興行性のタイミングを見事に見極めて、1953年に3D映画の『肉の蝋人形(House of Wax, 1953)』で大ヒットを飛ばしてプロデューサーとしての手腕を見せつけた。フォイがこのときに組んだのが隻眼のアンドレ・ド・トス監督(1913-2003)[2]と脚本家のクレーン・ウィルバー(1886-1973)(『キャノン・シティ(Canon City, 1948)』『夜歩く男(He Walked by Night, 1948)』)だった。本作でも、同じメンバーが顔を揃えている。

製作時のタイトルは「Don’t Cry, Baby」と「The City Is Dark」(後者はイギリスでの公開時のタイトル)。当初ルディー・フェールが製作担当の予定だった。1952年に撮影が終わっていたが、1954年に公開。

ジャック・ワーナーは、この作品でシムス刑事役にハンフリー・ボガート、エレン役にエヴァ・ガードナーを起用しようと考えていた。しかし、ド・トス監督は、強硬に反対した。

『土曜日正午に襲え』について話そうとジャック・ワーナーのオフィスに行ったら、怒鳴り散らされてね。
「何考えてんだ?ボガートとガードナーだぞ。大スターだぞ?要らないだって?」
「ええ、結構です」
「わかった。どこの誰だか知らんが、そいつで勝手にその映画作れ。自分で自分の喉かき切ってろ。15日で撮ってこい。出てけ。」
嬉しかったね。14日で撮ったよ。
アンドレ・ド・トス

ド・トス監督の眼に狂いは無かった。スターリング・ヘイデン(1916-1986)は、安っぽい犯罪に曝され続けて皮膚が3倍ほど分厚くなってしまったようなベテラン刑事という、実に彼らしい役どころを見事に演じている。一方、犯罪の闇に絡め取られそうになる前科者のレイシー役には、当時ミュージカルの歌手/ダンサーとして人気のあったジーン・ネルソン(1920-1996)が起用された。脱獄囚の1人で、引き金を引くことを躊躇しないヘイスティングス役にはチャールズ・ブロンソン(1921-2003)(チャールズ・バチンスキー名義で出演)、リーダー格のドク・ペニーには、悪役専門、ジェームズ・エルロイに『絞ったらポマードが出てくる』と評されたテッド・ド・コルシア(1905-1973)があたっている。特筆すべきは、不気味なサイコパスとして登場するティモシー・ケリー(1929-1994)。むき出しの歯を噛み合わせたまま喋り、いつも奇矯な笑みを浮かべている。スクリーンに現れている時間は数分にしか過ぎないが、釘付けになる変態演技である。

低予算、短い撮影スケジュールから、その大部分がロケーション撮影で行われた。1950~55年はハリウッドの映画製作が、スタジオロット内での制御された撮影から、ロケーション撮影を取り入れた、よりダイナミックな手法に変換していく時期である。その中でもこの作品は、ロサンジェルスの郊外、グレンデールでの撮影が際立っている。銀行強盗の現場として使用されたのは、グレンデールのバンク・オブ・アメリカの建物そのもので、ド・トス達の撮影班はわずか1日でそのシーンを撮影した。これは、ド・トス監督が地元の警察に聞き込みをして「どんな立地の銀行が、最も銀行強盗に襲われやすいか」を教えてもらい、選んだ銀行だという。夜間の撮影も多く見られるが、撮影監督のバート・グレノン(1893-1967)は、当時の感度の低いフィルムから最大限の効果を引き出している。

チャールズ・ブロンソン

Reception

公開当時は、陳腐なストーリーを演出と演技で救い出した、出来の良い犯罪映画という見方が大半を占めた。

よくあるプロットだがエキサイティングな仕上げ NY World Telegram

 

代わり映えしないストーリーにも関わらず、すぐれた演技に助けられているNY Post

ロケーション撮影のメリットも強調されている。

ドキュメンタリー・クオリティLA Times

 

生々しい、ロサンジェルスの鳥瞰図 New York Times

一方で当時、TVとラジオで人気だった『ドラグネット』と比較されるのは必至だった。

『ドラグネット』と血縁関係にあるようにさえ思えるMotion Picture Daily

 

(物語としては)夜にTVでやっている警察ドラマと大して変わらないNY Herald Tribune

1980年代以降、徐々に「フィルム・ノワール」批評と「B級映画」発掘がすすみ、この作品の新鮮なセミ・ドキュメンタリー的な映像が再発見される。90年代のリバイバル上映、2000年代のDVDでのリリースで「スターリング・ヘイデンの50年代最高の演技(James Steffen)」、そして「ド・トスの最高傑作」という向きもある[3]

オリバー・ストーンは「無駄のない、美しく仕上げられた、素晴らしい作品」と呼び、監督のアンドレ・ド・トスを「ストーリーテラーとして右に出る者はいない」と評価している。

ジャン=ピエール・メルヴィルのお気に入りの映画の一つで『いぬ(Le Doulos, 1963)』では、ジャン・ドザイーに爪楊枝をかじらせている。

Analysis

よくある話

原作はサタデー・イブニング・ポスト誌の1950年4月8日号に掲載された『犯罪者の烙印(Criminal’s Mark)』である[4]。サタデー・イブニング・ポストといえば、ノーマン・ロックウェルの表紙に代表されるように、アメリカーナを体現した文芸誌である。保守的な読者層に訴える小説やコラムが主流の雑誌だったが、やがて1950年代からその部数が落ち始めた。原因はTVの家庭への普及や新しい潮流の雑誌の登場だと言われている。

『土曜日正午に襲え』という「劇場映画」を適切なコンテクストで分析する上で、「TVの警察ドラマと大差ない」という評価は、私達が忘れがちな重要な事情を示唆している。すなわち、1951年からNBCで放映された『ドラグネット(Dragnet)』が、犯罪をテーマにした同時代の映像作品(劇場映画、TV番組)に強烈な影響を与えているということだ。この最初期のTV番組では、ダイアローグを中心に、わずか30分の間に怒涛の如くストーリーが展開していく。毎週、麻薬取引から連続殺人までありとあらゆる犯罪が登場し、筆跡鑑定から嘘発見器まで様々な捜査技術が開陳される。この頃のTV番組には、製作上の制約からダイアローグが大半を占めるものが多いが、脚本と演出は実によく練られたものが少なくなく、『ドラグネット』はその中でも極めて革新的だった。例えば、『ビッグ・キャスト(The Big Cast)』は、まだ無名時代のリー・マーヴィンがサイコパスの連続殺人犯として主演したエピソードだが、ダイアローグだけで骨髄が凍りつくような演出に仕上げている。安っぽい麻薬窃盗犯から、感情の水脈がどこかで枯れ果てているサイコパスまで、実に振幅の大きい物語が毎週TVで提供されていた時代に、一昔前のよくある「前科者がまっとうに生きようとする」物語が魅力を持ちえなかったとしても致し方ないだろう。

同じ年、TV版の人気を受けて『ドラグネット』はやはりワーナー・ブラザースで映画化されている。この映画がカラー作品だったことも興味深い。映画『ドラグネット』の宣伝にワーナー・ブラザーズがかけた努力にくらべ、『土曜日正午に襲え』のプロモーションは殆ど無いに等しい。映画『ドラグネット』は1954年のワーナーの興行収入トップ3であるが、『土曜日正午に襲え』は見る影もない。ジャック・ワーナーの言うとおりにハンフリー・ボガートを起用していたら、もう少し配給側の努力も変わっていたであろうが、また、それは全然別の作品になってしまったであろう。

ロケーション撮影

『ドラグネット』は、実際に起きた事件を元に脚本が起こされ、ロサンジェルス警察の協力も得て、フィクション映画にはない「リアルさ」を売りにしていた。「劇場映画」がTVとは異なる「映像」を持ちうるとすれば、それは何か。その一つは、『土曜日正午に襲え』の最大の魅力ともなっている、ロケーション撮影である。当時のTV番組製作は経済的、技術的にも、背景(バックドロップ)として「都市の風景」をロケーションに求めるほどの余裕がなかった。一方で、第二次世界大戦後に、ハリウッドでは犯罪映画とロケーション撮影が交差するようになり、セミ・ドキュメンタリースタイルのフィルム・ノワールが50年代には数多く製作されている。

40年代初頭までの映画では、ニューヨーク、シカゴ、といった具体的な都市が舞台であっても、それは象徴的な「都市/City」として、ジェネリックな場所としての性格が強かった。しかし、戦後の作品では、ニューヨーク、ロサンジェルス、サンフランシスコ、といった具体的な都市として現れてくる。これは戦前の作品群がハリウッドのスタジオ内に作られたセットを使って撮影されたのに対して、戦後に現れたロケーション撮影は、まさしくその時、その都市の証としてストリート、カフェ、オフィスビル、裏道を切り取り、現実の手触りを物語の背景に付与する役割を果たしたのである。この切り取り方は、まだTVが獲得していないものだった。

そういったなかでも、『土曜日正午に襲え』の手触り感は群を抜いている。ヘイデン演ずるシムス刑事の殺人課はロサンジェルス市役所の内部/外部を最大限に利用して撮影され、そのホワイトウォッシュされた画面は、蛍光灯によって照らし出された陰影のない「職場」を映し出している。クライマックスの銀行強盗の舞台となったのは、グレンデールに実在したバンク・オブ・アメリカ。この典型的な銀行の建築空間と、周辺の商店街の外観が、犯罪の瞬間の緊張や焦燥を最大限にまで増幅しているのは間違いない。

特にロサンジェルスのダウンタウンではなく、グレンデールをロケーションに選んだところに、ド・トスの時代感覚の鋭さが現れている。1940年代後半から、既に「都市」は周辺に拡大し始めていた。『深夜の告白(Double Indemnity, 1944)』でも、グレンデールが登場するが、そこはまだ富裕層のベッドタウンとしての記号的な背景でしかない。しかし、『土曜日正午に襲え』では、クリスマスの飾りで彩られた街の風景の中心にローン会社の看板やドラッグストアのフロントが見え隠れする、アメリカーナと都会の境界としての場所が現出している。

グレンデール

経験と革新

『土曜日正午に襲え』ではカメラのパンが頻繁に現れる。「ステディーカムの時代じゃないからね」という、ガタガタしたフレームの動きが、手ブレ映像のような近親性を生み出している。銀行強盗のシーンなどでは、ぎこちないパンが、危機、焦燥、加速を一体化し、スターリング・ヘイデンの巨躯に異様な存在感を与えている。その他にも、ハリウッドの伝説的なグリップ、ラルフ・チャプマンが自作したカメラクレーンも使用されているようだ。軍の払い下げ武器輸送車を改造した、このクレーンは、ロケーション撮影用の最初のクレーンと言われている。

このようなカメラ・ムーブメントは、サイレント期から手持ちカメラのアイモ(Eyemo)を使用して撮影していたバート・グレノンにとっては、長い職歴の一コマに過ぎなかったのかもしれない。バート・グレノンは、ジョセフ・フォン・スタンバーグの『暗黒街(Underworld, 1927)』やジョン・フォードの『駅馬車(The Stagecoach, 1939)』などを担当したASC屈指の撮影監督である。そのベテランが、この作品の1年前には3D映画に挑戦し、そしてこの作品では感度の低いフィルム(ASAレーティングで50程度)を使ったロケーション撮影で、夜闇に消えるチャールズ・ブロンソンを刻み込んでいる[5]。彼はその後、TVに活躍の舞台を移していくのだが、なんと挑戦的な姿勢だろうか。

映り込んだ戦争と冷戦の風景

クライマックスのカーチェイスで現れる直線的に整備された道路は、この数年後からアメリカ全土に張り巡らされることになるインターステート・ハイウェイの原型である。1956年の「連邦補助高速道路法」は、市民の移動、輸送のニーズを満たすとともに、「核戦争などのカタストロフィに備えるために」準備された側面もある[6]。カーチェイスの最中にもグレンデールの路面を走る路面電車が映し出されるが、これはRed Carと呼ばれたパシフィック電鉄の路線である。ロサンジェルスのダウンタウンまでつながっていたが、この作品の公開された次の年で廃止されている。もちろん、自動車社会への変遷が主な理由だ。冷戦の開幕とともに国家と資本によって国土が改造されていく、その瞬間がとらえられている。

自動車がアクションの中心として登場する本作だが、もうひとつの輸送の要として登場するのが、飛行機である。保釈中のレイシーの職場は、彼の戦時中の経験を活かした飛行機整備場である。戦争によって生まれた多くの飛行操縦士、整備士たちの職場として、航空産業が伸長したのは言うまでもない。グレンデール飛行場のシーンでは、ド・トスの私有機も映っているらしい。

今では、グレンデールはロザンジェルスを代表する高級住宅街である。ドリームワークスのHQがあり、数々のエンターテイメント業界の企業がオフィスを構えている。しかし、その街角にはこの映画の片鱗が残っている。チャールズ・ブロンソンがジェイ・ノヴェロの首を締める、あの動物病院もそのまま残っているらしい。

グレンデールのバンク・オブ・アメリカ

Links

TCMのレビューは、「アンドレ・ド・トス監督の長所 ーすぐれたテンポ、削ぎ落とされたヴィジュアル・スタイル、役者達から演技を引き出す能力ー が見事に活かされている」とド・トス監督の演出力の高さに注目している。

マーク・ファーティグによるフィルム・ノワール専門のブログ、Where Danger Livesでは、「ノワール・ファン垂涎の安くて旨い食い放題、最後の数フレームは最高のデザート」と絶賛している。

トニー・ダンブラのブログ、filmsnoir.netでも「LAのストリートで繰り広げられるにたった74分の引き締まったストーリー、あまりにもリアルで、あの時代に本当に起きたんじゃないかと錯覚してしまう」と、ロケーション撮影と演出を高く評価している。

グレンデールの話題を集めるTropico Stationでは、ロケーション撮影に使われた場所の現在を写真で比較紹介している。この50年で、アメリカの都市部の風景がどのように変化したかを知る上でも興味深い。

Data

ワーナー・ブラザーズ配給 1954/1/12 公開
B&W 1.37:1
73分

製作ブライアン・フォイ
Brian Foy
出演スターリング・ヘイデン
Sterling Hayden
監督アンドレ・ド・トス
Andre de Toth
ジーン・ネルソン
Gene Nelson
脚本クレイン・ウィルバー
Crane Wilbur
フィリス・カーク
Phyllis Kirk
原作ジョン&ワード・ホーキンス
John & Ward Hawkins
ジェイ・ノヴェロ
Jay Novello
脚色バーナード・ゴードン
Bernard Gordon
テッド・ド・コルシア
Ted de Corsia
脚色リチャード・ワームサー
Richard Wormser
チャールズ・ブロンソン
Charles Bronson
撮影バート・グレノン
Bert Glennon
ネドリック・ヤング
Nedrick Young
編集トーマス・ライリー
Thomas Reilly
ジェームズ・ベル
James Bell
音楽デヴィッド・ブトルフ
Daivid Buttolph
ティモシー・ケリー
Timothy Carey
美術スタンリー・フライシャー
Stanley Fleischer

[1] ブライアン・フォイの独立プロデューサー時代、イーグル・ライオンでの製作については、拙ブログKINOMACHINAの「戦争が終わり、兵士たちが帰ってくる」を参照のこと。

[2] アンドレ・ト・トスは、反ナチ・デモの最中の出来事で左眼の視力を失ったらしい。しかし、3D映画を監督して見事に成功した。本人は「片眼だからってハンディじゃないし、他の片眼の監督、ジョン・フォード、フリッツ・ラング、ラウール・ウォルシュも、3D映画作ればいいのに」と言っていた。

[3]“Crime Wave (1954) – Articles – TCM.com,” Turner Classic Movies. [Online]

[4]“Crime Wave (1954) – Screenplay Info – TCM.com,” Turner Classic Movies. [Online].

[5] 当時の映画撮影技術、特にフィルムとカメラに関する技術に関しては拙ブログ「KINOMACHINA」の「彼らの名前はもうわからないが、それはそれでかまわない」を参照のこと。

[6] “Original Intent: Purpose of the Interstate System – Interstate System – Highway History – Federal Highway Administration.” [Online].

 

 

References

1. Slide A. de Toth on de Toth. Faber & Faber; 2011.
2. Silver A, Ursini J, Porfirio R. Film Noir Reader 3: Interviews with Filmmakers of the Classic Noir Period. New York, NY: Limelight Editions; 2004. 244 p.
3. De Toth A. Fragments . Faber & Faber; 2011.